春夏秋冬

もう何冊目でしょうか

もう何冊目でしょうか

南風には落書きノートが置いてあります。
時に部屋であったり、ロビーであったりフロントで見つけたりと、神出鬼没です。

今日はスタッフ全員と女将は楽しみにしていた食事会で宿はお休みです。
一人残ってノートを眺めています。

いつまでもお幸せに。

いつまでもお幸せに。

20012年も世界が、篠島がありますように。

20012年も世界が、篠島がありますように。

受験も頑張って下さいね。

受験も頑張って下さいね。

ゆずの北川さんです。

北川さんです。

また来年も待っています。

また来年も待っています。

太陽に吠えろで刑事役だった○○さんもよく訪れます。
でも、有名な方も一般のお客さまと同じように静かに接する事を心がけています。
          ないしょでサインをいただく事もありますが(^-^)v
(バラバラに書き込まれているので今年以前の書き込みも入っています)

南風でノートをみつけたら、お書き込み下さい。

2012年 8月 28日 | People | No Comments »

矢穴石(やあないし)

南風が崎の矢穴石

南風が崎の矢穴石

慶長年間、徳川家康が多くの大名に名古屋城築城命じました。
総奉行を務めた加藤清正が石垣の石を切り出したのが、ここ篠島です。
特に有名なものは、南風が崎(まぜがさき)に鎮座する「加藤清正の枕石」と言われる巨石です。

今も石を切り出した鑿跡が400年以上の風波に耐えて島のいたるところに点在しています。
石を船に積むのに困難な島の内陸部にも切り跡がみられることから
当時、島の形が変わるほど膨大な量の石が名古屋へ運ばれたと考えられています。

今回、その切り出し途中の石が名古屋城に運ばれ、展示される事になりました。
数ヶ月は特別展示され、その後は能楽堂前の加藤清正像わきが展示場所となります。
切り出し途中で放置されたその石は、南風が崎と小山の間で
永く波に洗われて来た約9トンの花崗岩です。
第一候補として松島の石が候補に挙がりましたが推定30トン以上で
近辺の水深も浅くクレーン船が接岸困難で今回の9トンの花崗岩に決まりました。
当時の加工、運搬技術の高さが想像されます。

今月中にクレーン船で引き上げ、篠島フェリー乗り場から
9月18日に名古屋へ出発します。
当日は名古屋から武将隊・・・もちろん加藤清正が訪れ
地元の子供たちの舞いや餅まきなどが行われ、道中の無事を祈願する
神事の後、名古屋へ出発します。

イベントはお昼の12時半からで、14時45分のフェリーで名古屋へ出発するまで
楽しい催し物が続きます。

五世紀ぶりに篠島の石が名古屋城へ運ばれ、加藤清正像近くで永久保存されます。
篠島漁協や篠島まちづくり委員会、観光協会、南知多町あげてのイベントとなります。
多くの人に参加して楽しんでもらいたいと思います。

2012年 8月 24日 | People | No Comments »

新しい相棒

長く使った身卸出刃がちびたので、新たに購入しました。
下が新しい8寸の身卸出刃です。上は本出刃で、こちらも元は8寸ですが
3センチほど短くなっています。

出刃には、本出刃、中身出刃、相出刃、身卸出刃などの種類があります。
切り刃の形状も違いますが、おおむね刃の厚みの違いです。
これはメーカーで差があり、鍛冶屋さんが相出刃として作れば相出刃
身卸として作れば身卸出刃となります。

今回の身卸出刃は白二鋼です、錆びないイノックス、V10、モリブデン鋼などもあり
迷いましたが、オーソドックスな白二鋼にしました。
10年以上使った本出刃も白鋼ですが、改めてながめても
磨きにくい柄付近に浅い錆びが見える程度なので、白二の霞にしました。
高価な本焼は最初から選択肢外でした、出刃には本焼のメリットが見つけられません。

鏡面仕上げも、本刃付けも鞘も不要、朴の柄にして値打ちに入手できました。
鍛冶屋さんから出た包丁が刃付け、研ぎ、柄付けなど手間をかけるほど高価な包丁になります。
いつもの例で刀身さえ信頼出来る鍛冶屋さんならいいという考えで購入しました。

手にして眺めると、切っ先から4センチくらいのアールの通りがイマイチで
砥石に当てると、やはり違和感がありました。
方法は二つで、一つは微かに出たアールを研ぎ切ってしまうか
先端のシノギをほんの少し上げるかです。
現状の裏のいいラインを崩したくないので後者の方法で研ぎ始めました。
ダイヤモンドの400番で切刃のムラを抜き、シノギの先端を2ミリほど上げました。
普段は本焼、V10、モリブデンの柳刃を研いでいるの砥石なので楽に研げます。
比較的研ぎやすいイノックスより研ぎやすいです。
ただし、今の時点で鋼の硬度はかなり高く、一皮剥けるまでは研ぎ、使用ともに気を使いそうです。

ダイヤモンドの400番→セラミック400番→セラミック1000番→セラミック3000番で研ぎ進みました。
ベタ研ぎのままではあまりに弱々しいので、糸引きと言うより二段刃にして裏もやや広げました。

出刃の仕上げはセラミック3000番で終えるのが普段の研ぎですが
最初なので8000番の北山で裏表とも仕上げ、最後にアゴを少し丸めました。
二カ所ほど微かに残ったエクボは、ご愛嬌。

金属臭が移らないように丹念に洗い、さっそく鯛をさばいてみました。
本出刃と比べ、切っ先が骨に当る感覚が敏感で思い通りに三枚おろしが出来ます。
薄い刀身と魚に切り込切っ先の角度の差でしょう。
また8寸という長い刃渡りはスピードアップになりそうです。
スリムな刀身は身割れしやすいスズキの頭付近やサワラの三枚下ろしに活躍するでしょう。

本出刃と身卸出刃の厚みの違いです。

日本の包丁の種類の多さは他の文化圏に例がありません、ウナギ割きや鱧の骨切りなどといった
ただ一種の魚の一つの用途だけのための包丁も多くあります。
道具への徹底したこだわりや愛情、命をいただく魚への敬意と感謝は
日本人に残された数少ない美徳の一つと思います。

明日はこの新しい相棒で大型スズキ、ヒラメ、カンパチをさばきます。

2012年 6月 01日 | Others | 1 Comment »

新美南吉記念館

今日は、宿の新しいパンフレット制作の件で浜松へ行ってきました。
先代からお付き合いの印刷屋さんで、新しい担当もこちらの要望に
打てば響くような対応で気持ちよく打ち合わせが終わりました。
予定より早く終わったので、帰りは半田市の新美南吉記念館へ寄りました。

近年、北の賢治、南の南吉と言われ宮沢賢治と並び称される郷土の作家です。

小学生の一年の時、初めて買ってもらった本が「新美南吉代表作集」でした。
表紙側から低学年向きの、ひらがなのみの童話からはじまり、
徐々に漢字がふえ、おなじみの「ごんぎつね」が読めたのは、かなり後でした。

当時にしては高価な本であったと思います。
この本を初めて開いた時のインクの香りは記憶から消えました。
しかし新装本の香りを嗅ぐ癖は今も治らず、どこか物悲しくそれでいて温かい
南吉の童話や詩はこの歳になっても愛読書の一つです。
思えばこれが自分と本との出会いでした。

「ちょっと寄っていくか」が、南吉ゆかりの品々や自筆原稿に、
雨上がりの夕日に気づくまで過ごしてしまいました。

資料館は入館料¥210ですが、屋外施設は広く、静かな散策路もあり
陽気のいい季節には昼寝も気持ち良さそうです。
近くには南吉の生家や童話に出て来る場所も点在しています。
どれも地味な場所ですが、知多半島の寄り道にいかがでしょうか。

表紙はちょっとどうかと思いますが、サイトはこちらです。

これは篠島の鯨浜が詠われたと言われています。

2012年 5月 22日 | People | No Comments »

苦労した一日でした。

潮と風が悪く、船頭泣かせの一日でした。
最後のポイントで大物7匹をゲット。
一日じっと耐えた釣り人への神様からのプレゼントでしょう。

山さんは前日、深夜の連絡にもかかわらず駆けつけてくれました。
せっかくなので、山さん大物をゲット画像もひっつけちゃいます。
撮影は不慣れな南風亭主です。

2012年 5月 08日 | fish on ! and Friends | 2 Comments »

ようやく  やっと  ついにスズキ

海に出ました。

今月は色々と仕事が多く、僚船の自慢話を聞くたびに歯ぎしりで
顎が痛くなりました。

ポイントはシーズン初めで毎年恒例となっている木島の人工漁礁です。
港からすぐの8ヒロのポイントです。
四ヶ月ぶりの釣りに、最初の錨がわずかに狂い、再度打ち直して仕掛を流しました。

一打目から12ヒロ延ばした仕掛が張った瞬間に1キロ前後をゲット。
入れ食いとまで言えませんが3時間で2.2キロを頭にスズキ8匹ゲットしました。

山カメラマンが渡米中のため動画はとれませんでした。

初物ということで二番目に太ったやつを刺身で、
アラは吸い物でいただきました。

もちろん一番の上物は今日のお客さま用となりました。

ありがたいことです。
世間はいろいろ騒がしくとも、季節季節の海の恵みは来てくれます。

2012年 4月 20日 | fish on ! | 2 Comments »

400年は長いか短いか?

今日は名古屋市と南知多町の学芸員の方々が来島されました。

清正の枕石ちかくにある採石跡です。

慶長年間、名古屋城築城のおりに、石垣の石材として篠島の形が変わるほど多くの
の石材が篠島から名古屋へ運ばれました。
多くと言うのは、最近になって海岸から離れた内陸部からも
採石跡が発見されているからです。
運搬しやすい海岸の石を取り尽した後に、内陸部へ目を向けたというのが
自然な考え方ではないでしょうか。

篠島の周囲に点在する無人島のうち、採石跡が見られる築見島、木島、広亀島、戸亀島
小山島、松島を洋上から見学し、その後、最も有名で加藤清正の枕石と言われる
篠島本島、南風が崎(まぜがさき)の採石跡に向かいました。

自分たちには見慣れた史跡ですが、学芸員の方々は時間も忘れ
石材にくっきり残るノミ跡に熱心にメジャーを当て調査していました。
そんな風景をぼんやりながめていると、この地でノミをふるったであろう
当時の職人たちの姿が400年という歳月を越えて目に浮かんできました。

篠島は史跡の島です。

少しさかのぼれば、家康が、本能寺の変で堺を脱出し
伊勢の国、白子から海路三河に向かう途中に篠島へ立ち寄ったという伝説もあり
また、太平記によれば南北朝時代、後醍醐天皇の皇子、義良(のりなが)親王
・・・後の後村上天皇が東下途中に遭難され篠島へ漂着しました。
皇子のために島民が掘った井戸が帝の井(みかどのい)として
今もこんこんと清水をたたえています。

篠島の史跡はこれにとどまらず、篠島神明神社は奈良時代末期から歴史に登場しています。
古来より伊勢神宮との関わりが深く今も島には伊勢神宮の御領地があり、ここで調製される
篠島の鯛は「おんべ鯛」として毎年、伊勢神宮に献上され続けています。
そして20年ごとに行われる伊勢御遷宮の折りには内宮の東宝殿、西宝殿が
交互に篠島へ下賜され、篠島神明神社も20年ごとの御遷宮が絶える事無く今に至っています。
これは、今の大河ドラマ「平清盛」の時代をさらに400年さかのぼります。

また篠島は万葉集にも歌われ、万葉の歌碑公園から望む鯨浜(くじはま)からは
弥生時代の土器や漁具、石器が多く発見されています。

篠島は史の島です。
他の史跡と大きく異なるのは、それらの史跡群が近代の乱開発を逃れ
当時と同じであろう風景の中に今もたたずんでいることです。

名古屋城の石垣は一級の完成品ですが、石切作業半ばで篠島に残さた数ある巨石の一つでも
名古屋城に展示されれば現代人の目に触れる美しい石垣が400年の歳月越え
より立体的な風景としてよみがえり、当時の人々の体温をもっと身近に感じられるのではないでしょうか。

かつて、名古屋城築城の縁の下の力となった祖先と同じく、今を生きる一島民として
島の巨岩が城壁近くに展示される事を願ってやみません。

2012年 4月 18日 | People | No Comments »